ABOUT
六角ちきりや茶舗について
創業百有余年、従来より皆様に親しまれ変わらぬ心で、伝統の京の茶業を守り続けております。
千切屋の屋号は、遠祖奈良春日神社の工匠神人として若宮祭事の時、千切花の台を奉納したことに始まります。
我が茶舗も、由緒ある名門のちきりやの名に恥じぬよう、味と香りの芸術をお茶に託して精進いたします。
皆々様には、益々のご愛飲を賜ります様、ご健康の基としての銘茶をお届けいたしたいと存じます。
写真は1910年(明治43年)頃に秋山覚兵衛商舗・秋山茶店「ちきりや」(現・三条・(株)ちきりや)前で撮影されたものです。
店舗入口に立っている2人のうち、帳簿を持たれている方は秋山茶店の店員・野田長兵衛さんという方で、その横で自転車を出そうとしている青年が、六角ちきりや茶舗の創業者 若林栄二郎(20代・当時は利助(りすけ)と呼ばれていました)です。
創業・沿革
六角ちきりや茶舗は、明治後期に秋山覚兵衛商舗・秋山茶店「ちきりや」(現・三条・(株)ちきりや)へ丁稚奉公していた若林栄二郎が、秋山氏より屋号「ちきりや」の暖簾分けをいただき創業したのがはじまりです。
当初は、六角通室町西入玉蔵町にて茶の卸と菓子の販売をしておりましたが、しばらくして現在の六角通東洞院東入の場所にて茶の卸業と菓子の小売業をはじめました。
大正10年に銘茶・ちきりや若林茶舗となります。
写真の人物は、昭和20年代頃の創業者:栄二郎です。陽の光で茶葉の鑑別をしております。
写真は、昭和20年代当時の店頭です。
創業者の妻と外国人の方との写真。昭和30年代に入り、当時から海外の方も店先にご来店いただき、ゆっくりと寛いでおられました。
昭和に入り、二代目店主として若林愛之助が承継しましたが、その後第二次世界大戦に入り戦地へ向かうことになります。
終戦を向かえ帰還した愛之助は茶業に専念し、京都市茶業組合での活動や茶農協へ出入りし入札など自身で精力的に動き、茶業の発展に努めていきます。
2代目:愛之助の家族と従兄弟やご近所の子供達。近隣周辺のみなさんの寄り集う場として開放しておりました。
昭和後期に、三代目店主として若林孝二郎が承継しました。
昭和63年に法人化し、お茶の販売だけでなく、お茶を使ったスイーツや甘味処、出張催事など事業の幅を拡げていきます。
時代は平成に入り、孝二郎の兄:栄一郎も共に兄弟で販路を拡げ、全国各地の百貨店催事などを巡ります。
平成30年に四代目店主として若林大督が承継しました。
令和元年よりネット販売による全国発送やSNSを使って情報発信を行い、店内ではお茶の淹れ方体験ができるように店舗改装しました。
経営理念・経営方針
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経営理念
わたしたちは日本茶をとおして心のやすらぎを提供し、
凡事徹底の精神を持って、
より高き価値を創造していきます。経営方針
地域にとって常にそこにあり続け
社員とともに温もりと愛情を持ってお客様と接し
100年先もやすらぎの空間を提供する会社を目指します。
ご挨拶
六角ちきりや茶舗ムービー
六角ちきりや茶舗の店内の様子やお茶の淹れ方、抹茶の点て方などをご案内しています。